圓のプロフィール
- 本名、前田 圓(まえだ まどか)。
- 1928年熊本市生まれ。
- 海軍兵学校、旧制福岡高等学校を経て
- 1953年九州大学文学部卒業。
- 1956-57年、フルブライト留学生として、コロンビア大学大学院留学。
- 福岡県立筑紫丘高等学校・修猷館高等学校教諭を経て、
- 九州産業大学国際文化学部教授。
- 1998年、同上を退職。
- 専攻、現代アメリカ文学。
- 著書―『アメリカ小説の60年代』海鳥社、2006年。
圓の論文
- 降る雪は あはにな降りそ」攷(2013年5月29日):『万葉集』巻二に、但馬皇女が穂積皇子に送った熱烈な恋の歌三首と、皇子が皇女を悼んだ挽歌一首が収録されている。二人は天武天皇の異母兄妹関係にあり、但馬皇女は既に人妻だったので、生前二人の恋が実ることはなかった。皇女亡き後、ある冬の日皇子は墓を遠望して詠んだ。「降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに」。何故この歌が、今もなお我々の心を打つ万葉集中の屈指の挽歌とされるかの理由を、一首の中の、土地名、「ナ …ソ」の禁止表現、その理由説明部分に分けて解明しようとする。
- 「雨が海に」―モノローグによる自画像―(2011年6月29日):海(他者)に降り注ぐ雨(自己)と言う自・他の合体をモチーフにした吉原幸子初期の詩「雨が海に」を取り上げる。それを同時代の他の詩人の同一テーマの詩作品と比較検討する。自己と他者の合体は吉原終生のテーマだったが、合体は彼女独自の「非論理」でなされ、論理展開はナルシシズムにも似た自己優先のモノローグに終始する。また絶えず自己回帰する吉原詩は、マンネリ化の危険を孕んでいたことを、同一テーマをガス自殺にいたるまで深刻に追い詰めたシルビア・プラスの最後の詩と比較する。
- 曽良はサンチョ・パンサか・・・芭蕉とスタインベック―(2010年4月23日):芭蕉の『おくのほそ道』、ジョン・スタインベックの『チャーリーとの旅』と言う東西二つの旅行記は、夫々生国を反時計回りに巡った印象・エピソードを、オムニバス風に記録する。曽良と言う弟子、愛犬チャーリーを同伴し、歌枕の地や名所を訪れる点も共通する。一方、西行に肖り、旅で流行不易を感得せんとする芭蕉と、自己回春、アイデンティティ獲得を一周旅行の目的とするスタインベックとの差異は歴然たるものがある。
- 影媛道行歌私論(2008年6月21日):有力氏族平群家の若者シビが、歌垣の場で一人の女性を皇太子と争ったがために、誅殺されると言う話が、『古事記』と『日本書紀』にある。共に三組の掛け合い歌を伴い、明らかに民間伝承の歌垣歌の転用である。しかし、この物語に限って、凡そ史実に徹する日本書紀が、ここでは敗者となった若者と婚約者に一方ならぬ思い入れを示している。その歴然たる証拠が、書紀の述作者が事件の後日談として追加した、影媛のシビを悼む道行歌を含む四首の歌と詞書きである。
- 木梨の軽太子・軽大郎女悲恋歌謡 遺稿(2007年12月):日本の古代史は、皇位継承を巡る血生臭い物語に満ち溢れている。木梨軽太子・軽大郎女の相姦事件と悲劇的結末もその一つである。禁忌を犯したため皇位を棒に振った皇太子と同母妹に対し『古事記』が同情的であるのに、『日本書紀』は終始冷淡である。この温度差は記・紀の述作者の出自に関係すると同時に、両書の編纂を命じた為政者の意向が強く反映している。また述作者は共に、伝承とは無関係の歌謡を転用して悲劇的効果を出そうとしている。
- 雲のはたて考(2007年5月):『古今集』に「夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ天つ空なる人を恋ふとて」という恋歌がある。通常、雲の果てに向かって叶わぬ恋を嘆く若者の歌とされているが、それは正しくない。古今集でのこの一首の配列された位置から「はたてに」が実景を詠んだものでなく、比喩表現であること、更に古今集他の歌集からの類似表現を分析して、通説の「雲の果てに向かって物思う」という措辞が結局成立せず、「戦場などで無数の旗が入り紛うように思い乱れる」と読むべきであることを論じる。
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